8時半起床。
女房の朝食。
私が動くと愛猫が追ってくるのは,マーガリンがほしいからだな。
食事中は,脇に座ってじっと私を見上げてくる。
しかたがないので,指先にちょっとつけて鼻先に持っていくとぺろぺろ舐める。
3回ぐらいやって,もうないよと指を広げてみせる。
それでも動かないが,こちらが無視していると今度は女房のところに行く。
毎日この繰り返しである。
まあ,食欲があるのはいいこと。
テレビを見て,体操をして,新聞を読んで,ネットで株価など。
あっという間に午後1時。
昼食は,お菓子など。
皿を洗う。
遺言書の続き。
このブログも含めて,いくつか書いたもののアドレスも載せておく。
私が死んだ後に,気が向いたら読んでくれればいい。
現状,ブログ関係が4つに,TwitterにYouTubeとか,いろいろやっていることは知っていても,アドレス知らせているわけではないので女房も息子も読んだことはないはず。
この日記は2011年からだが,一番古いので残っているのは1999年に始めた愛猫の写真日記だな。
私が写真を撮って女房が文章を書いていたから女房も忘れてはいないだろうが,今でも公開しているとは思っていないのではないかな。
元弊社のサーバーを間借りしていたのだが,私の退職とともにプロバイダーの方に移動した。
始めたころはまだブログがそれほど盛んではなかったので,htmlで自分でページを組んでいた。
お互いに忙しくなって,2005年の夏以降は(ほぼ)更新していない。
ほぼというのは,ごく希に私がトップページに愛猫はまだ元気などと付け加えているから。
で,今見たらトップページにもっと昔のページへのリンクを張っていた。
記憶から飛んでいたが,主にパソコン関連の内容で1996年から書いている。
CPUを交換したとか,マザーボードを変えたとか,海外の通信事情とか,今となっては全く役に立たない情報だが,後輩のK君などは海外旅行の際の参考になりましたと報告してくれた記憶がある。
当時はホテルの部屋にWi-Fiなんてものはなかったし,有線LANもつながっていなかったので電話線からネットに繋いでいたのだったな。
ドイツでは専用のモジュラージャックが必要というので秋葉原に行って買ったのだが,古いホテルばかりで使い道がなかったなんてこともあった。
次に行ったときには,ハンブルクのホテルで使えてやっと日の目を見たなんて書いてある。
2000年あたりのバリ島は通信事情が悪くて,45回も繋いで最後まで切れずに通信できたのは4回だけとか。
電話代が大変だろうと思いきや,1回あたり3.3円というレベルだったらしい。
翌年同じところに行ったときには,1か所しかなかったアクセスポイントが4か所に増えていた。
2002年にはアモイ(中国)のホテルに有線LANが引かれていてえらく驚いている記述もあった。
2004年のイタリアではやはり電話回線のみで,一連の記事はこの頃終わっているのだが,今となってはさまざまな苦労もよい思い出ではある。
今ならWi-Fのないホテルを探すのが難しいくらいではなかろうか。
女房はお稽古へ。
私は,ゴミ捨てと新聞を取るついでに近所を散歩。
帰宅してシャワー。
夕食の献立。
鶏肉とナスの煮物。エリンギ,ブナシメジ。大葉。
昨日のサラダの残り。
焼きめし風。先日の山田錦で炊いたトウモロコシご飯を解凍。鶏皮,タマネギ,ニンジン,ピーマン,チキンブイヨンの素,塩,胡椒,トマトケチャップ。ちょっとぼそっとした感じの米(お酒の原料米,獺祭が有名)が,ちょうどよくなった感じ。
ビール500mL。
女房の帰宅が21時なので,つい飲み過ぎた。
刑事コロンボなどを見て,1時半就寝。
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