9時起床。
女房の朝食。
あさイチを見て,体操。
じゅん散歩などを見ながら,着替えてかかりつけ医へ。
「ARS抗体症候群」かもしれないと伝えたら,え,何それという感じだったが皮膚筋炎と聞いてすぐにわかったようだ。
間質性肺炎といってもものすごい種類があるとか,血管(血液)のこととか,リューマチ云々とか,20分ぐらい話した。
抜け毛やフケが多くなったことも伝えたが,先生の頭を見れば私の数分の1の量だから,数日前のZoom飲み会と同様これまたなんとなく話が終わってしまった。
最後はだいたい生きててよかったねと言う話になる。
ここで酸素ボンベ使ったのは初めてみたいなことも言っていた。
ボンベがあってよかったよ,って…。
ちなみに,先生はすでに新型コロナのワクチンは接種をしたとのこと。
医大の先生でもあるからそういうことだろう。
それにしても,毛髪の話はなかなか難しい。
こちらもつい相手の頭を見ながら話し始めちゃったりするし…。
私は禿げてきたら全部剃って坊主頭にしようかと思っている。
薬局で薬。
合計で4,000円チョイ。
これは難病申請の対象にはならない。
ATMで昨日振り込んだ金を下ろす。
駅そばのスーパーで買い物。
タマネギ,ブナシメジ,アボカド,キュウリ,イチゴ,デコポン,牛乳,味噌,マーガリン,ちくわ,かまぼこ,パックのご飯,アルカリ電池。
合計3,666円。
イチゴが切れたからついでに買ってきてと女房に言われたのだが,どうせならといろいろ買ってしまった。
金曜日に買い物する予定でなにも考えていなかったのでそろそろ在庫が切れそうだと思っていたものを中心に買ってみた。
キュウリは数ヶ月ぶりに買った気がする。
昼食は,女房が昨日買ってきたお団子など。
私は昨日のスープも。
2杯分あったので2杯目を飲んでいたら私も飲みたかったと女房に言われた。
すまん。
「#あれから10年」の特集番組を見る。
ちょうど株価を見ていた瞬間だったな。
止まりそうもない激しい揺れに,トイレの脇まで走ったのだった。
ドア3枚に挟まれるような位置で,ここなら安全かもと数日前に家族と話したばかりだった。
少し揺れが収まったところでパソコンの前に戻ったが,ネットからの反応がなくてマウスをぐりぐりさせたり,エンターキーを押したりした。
証券会社のサーバーが飛んだのかと思ったが,すぐに復旧した。
テレビもつけた。
当日のことはこの日記に書いた。
今ちょっと読んでみたが,すでに記憶が変容しているな。
テレビをつけたのは地震の直後らしい。
メールで【「大丈夫?」の3文字】を送ったと書いているが,4文字ではなかろうか…。
その日の夜に書いたみたいだが,けっこう慌てていたに違いない。
津波のことにほとんど触れていないのが不思議だが,あの黒く広がったかたまりがジワジワと陸上を這い上ってくる光景は今でも鮮明なので,そこに目を奪われてばかりであの下で多数の人が亡くなっているかもしれないなどということに思いが及ばなかったのだろう。
この3月には日記を11日分しか書いていない。
4~6日は北海道にスキーに行って省略,震災以降は12日と19日の2日だけである。
いかに落ち着かない日々を送っていたかがよくわかる。
散歩に出る。
聖地巡礼。
そういえば,地震当日やその後に愛猫がどうしていたのかもまったく書いていなかった。
当時は食事とトイレ意外まったく手のかからない子だったから,「主夫日記」としては書くつもりもなかったのかもしれない。
スマホのGoogleフォトを開くと「最近のハイライト」の隣に○年前のきょうの写真というのが出てくる。
10年前のこの日はたった1枚の写真しか撮っていなかった。
ピアノの上にあったこけしと卓上カレンダー,テレビ脇の小さなスピーカーが床に落ちて,紙が3枚散らばっているだけの光景である。
我が家の被害はこの程度だったということだろう。
あと,引き出しがいくつか開いたのは覚えている。
日記にはいろんな音のことを書いているが,我が家からのものではないものもかなりありそうだ。
食器やグラスが割れたと言うことは全くなかったと思う。
風呂に入る。
夕食の献立。
ラーメン。行列のできるなんとかというシリーズの喜多方ラーメン。ホウレンソウ,かまぼこ,チャーシュー,万能ネギ。
ポテトサラダ。キュウリ,ニンジン,塩,コショウ,マヨネーズ,寿司酢,サラダ菜,トマト,ジャコ。
ビール750mL。
私の手を見かねて,女房が皿を洗ってくれた。
テレビを見て,新聞を読んで,1時過ぎ就寝。
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