9時起床。
女房の朝食。
和食。
報道をちょっと見て,クロームブックを膝に乗せながら「ぶらり途中下車の旅」,「王様のブランチ」。
昼食は,女房が買ってきた草餅とゼリーとか。
女房がHちゃんからのLINEを見せてくれた。
ついに例のお友達が壊れたらしい。
彼女が反コロナ,反ワクチンに凝り固まっていろいろ妙なことをいっているというのは前に書いた。
最近は電磁波危ないの一辺倒になって,だからスマホも危険極まりないので捨ててしまったんだと。
語学が堪能な才女で,旦那は会社経営。
いったいなぜ?と思うのだが,このコロナ禍で会社が傾いたことが一因としてありそうだと。
しかし,スマホもなくてどうやって自分の「信念」を強化し続けるのだろうか。(まさかパソコンは見てますってことではないだろうが…)
私も何遍かそういう人のツイッターを覗いてみたことがあるが,ぶら下がっているコメントは賛同や共感の嵐で,そうじゃないだろうみたいな意見はほとんどなかった。
「推進派」の意見には賛否両方がぶら下がることがしばしばで,否定的意見には別の推進派がそれは違うとかやっているのとはだいぶ違う印象である。
そりゃあまあそうだろうと思うものの,反対意見のない世界ではいわゆるエコーチェンバー現象が一層強化されてそこから抜け出すのはほとんど不可能に思える。(というかそもそも抜け出そうなどとは絶対に思わないのだろうな。)
そういう人は仲のよい(よかった)Hちゃんの誠意を持っても説得できないだろうから,放っておくしかないんじゃないのと私。
散歩に出る。
雨がぱらついてきたので,図書館に避難。
そういえば日経新聞に連載されていた「ミチクサ先生」(伊集院静)がおもしろかったので,夏目漱石を読んでみようかと思っていたのだった。
漱石で読んだことがあるのは「吾輩は猫である」,「坊っちゃん」と「それから」ぐらいである。
「それから」は,友人の奥さんに告白する場面でなぜそれをもっと早く言ってくださらなかったのと彼女がハンカチを握りしめながら泣くというシーンだけが印象に残っている。(うろ覚え…)
あと「高等遊民」もここで知った気がする。
中学校の頭でっかちの(実際に鉢が大きい)国語の先生が,かまど?の煙が軒を伝わって上っていく描写をすばらしい!スバラシイ!素晴らしい~!とひとりで空を見上げながら絶賛していた授業も覚えているが,作品名は思い出せない。
棚には「漱石全集」があったがえらい冊数だな。
作家としての活動期間はそんなにないはずで,こんなに書いちゃったのか。
しかも1冊がやたら分厚い。
小さな活字でびっしり詰まっている。
眼鏡がないので文字が読めない。
背表紙も読めない。
「吾輩は猫である」は見つけたが,まるまる1冊がそのようである。
私が読んだのはダイジェスト版か?
大きな活字シリーズがどこかの棚にあったはずだが…。
結局,文庫本でたった1冊あった「虞美人草」を借りた。
なんで,昔の本はあんなに字が小さいんだろうって前にも書いたな。
そのときの結論(仮説)は「年寄りの読者が少なかったから」
雨が止んだので,公園をグルグル回る。
ちょっと走ってみた。
たった20歩を2回だけど,目が回ったのでそこまで。
風呂に入る。
今日の夕食は女房が作るという。
大量の野菜をどんどん処理したいらしい。
夕食の献立。
コロッケ。大量に作って残りは冷凍していた。
昨日のサラダの残り。
味噌汁。
ご飯。
コロッケがうまくて3個も食べてしまった。
ビール750mL。
梨。
皿洗いは女房。
見るテレビもないので,パソコンでいろいろ。
久しぶりにフォトショップで写真の加工。
バリバラをみる。
「24時間テレビ」に対抗して「2.4時間テレビ」をやっていた。
2時間24分はさすがに見ていられない。
結局1時45分就寝。
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