平成30年1月16日(火) 晴れ

 8時過ぎ起床。
 女房に8時に起こしてくれと頼んでおいたのだが,10分過ぎぐらいに目を覚ましたとき女房はまだ寝ていた。
 女房の朝食。
 いつもの病院に行く。
 インフルエンザだったかもしれない,まだ調子が出ないといったら,薬いる?って聞かれた。
 まあ,風邪に効く薬はないというからなあ。
 喉が腫れて痰が出るので,その薬を処方してもらう。
 あとはいつも通り。
 フルタイドはわが家に在庫が3つある。
 医院と薬局でトータル7,000円くらい。
 ジェネリックのおかげで半分ぐらいの金額になった感じだ。
 ATM2か所に寄って,お金を移動。
 郵便局で母親の口座を解約。
 父親の口座に20万円ぐらい残っていたことは書いたかもしれないが,母親の方にも3,200円残っていた。
 で,ほかに口座がないか調査してもらおうと年末に書類を出して,結局生きている口座は二つで一つは私が引き落とし済みで残額0円,もう一つ機械に入らないくらいの古い通帳にお金が残っていたというわけ。
 3,200円でもまあ遺産には違いないので解約したわけだが,手続きに1時間半ぐらいかかったのには閉口した。
 書類を4枚書いて除籍謄本とか戸籍謄本とか本人確認書類とか見せたのはいいが,なんと口座が凍結されていて解約できないとか。
 担当のお兄さんはどこかに何度も電話をし,調査を依頼した局員は誰かと聞かれたので覚えていないと答え,書類の控えを見せたら印鑑があったのでその人が何かをして,それでもダメで局長らしき人物が2回も奥から出てきてIDカードかざして,ようやく解約となった。
 まあ,とても感じのいいお兄さんだったから許すけどね。
 ポケモンGOをしながら待っていたが,実にいろんな客が来るねえ。
 身分証明書を持ってこない客が3人もいたのにはちょっと驚いてしまった。
 何の手続きか分からないが(1人は簡易保険だった),なんで証明書を持ってこないんだ。
 家にあります,って置いてきちゃダメだろう。
 次の休みまで持ってこれません,てお兄さん手続きができずに困っているではないか。
 しかし,まあ,どんな客にも局員は親切である。
 この時間帯なら私がいますから直接声をかけてくださいねなんて,にこやかに対応している。
 だからまあ,1時間半かかったが私は許してしまうわけである。
 昼食は,女房と。
 梅ヶ枝餅と干しイモ。
 いずれも実家経由のもらい物である。
 納戸の整理をする。
 というか,納戸から出したものを年末から和室に積み上げてあるので,それの整理である。
 小4のときの自分の日記が出てきてつい読んでしまった。
 正月から書き始めて4月ぐらいで突如終わっている。
 「学校から帰って○○ちゃんたちと××をして遊んだ」
 ほとんどそれしか書いていない。
 毎日,コマをしたり,たこあげをしたり,プラモデルを作ったり,プロレスごっこをしたりのワンパターンである。
 よく遊ぶ子である。
 週に1回はお習字とオルガンを習っていたんだな。
 当時の字の方がいまの私よりもうまいと女房に評価されてしまった。
 父親のいた会社の回想録も出てきた。
 立派な装丁の分厚い本で,まあ誰でも知っている重厚長大会社であるが,ざっと見て100人強の人々が90年にもわたるというその部門の思い出を綴っている。
 昭和55年発行で,その頃部門の閉鎖が決まったということだろう。
 見れば父親も3ページほど原稿を寄せていて,3年にわたる軍隊生活を終えて戻ってきた頃のことが書かれていた。
 他の人の原稿に父親のことについて触れた部分があって,そこには栞が挟んであった。
 父親がなんとかの公式に関して抵抗係数を設計資料にまとめてくれたので非常に使いやすくなったなどとあって,息子としてはちょっとうれしい。
 もちろん電卓など影も形もない時代だから,手計算やらそろばんやら計算尺やらを活用したのだろう。
 手回し計算機ぐらいはあったのかなあ。(私の卒論の計算は手回し計算機を使った…)
 そういえば,小学生の頃は父親の持ってきた設計図の青写真(青図)のうらに絵をかくのが大好きだったなあ。
 設計図の方も当然なんだかよくわからないわけだが,いろいろ見てあれこれ想像するのは大好きだった。
 高学年になってからは,青写真は減ってラインプリンターで印字した連続紙になった。
 かなりサイズの大きな紙で,青写真と違って白い紙なのがうれしかった。
 まあ,いまの若い人は青写真もラインプリンターも知らないだろう。
 設計図を家に持って帰るなど,いまでは考えられないある意味おおらかな世界であったのだ。
 もう1か所は米の話で,独身寮で食事の心配もなかった筆者にも米の配給があってどうにも処分しきれず当時家庭を持っていた我が父親に進呈しようとしたが,代金引換でないともらうわけにはいかないと遠慮されたと書いている。
 堅物の親父らしいエピソードに笑ってしまった。
 私なら喜んでいただいておくけどね。
 まあ,米の配給もいまや知っている人は少なくなっているんだろうが。
 この辺はスキャンして妹にも見せることにする。
 しかし,こういうものはどう処分すればいいのだろうか?
 私の代でいろいろなものを裁ち切りにしたいと思っているのだが,ただ捨てていいものか。
 いろいろ悩んで結局なにも進まないのである。
 相撲を30分見てから,ゴミを集めて,買い物へ。
 赤ワイン,キュウリ,ミニトマト,カボチャ,パプリカ,ピーマン,マッシュルーム,ブナシメジツイン,ニンジン,大葉,酢蛸,豚こま。
 合計2,907円。
 夕食の献立。
 豚肉とトマトのパスタ。タマネギ,ニンニク,トマト缶,ミニトマト,パプリカ赤,ピーマン,マッシュルーム,…。
 カボチャと煮豆の煮物。正月の黒豆がまだたくさん残っていたので,カボチャ,ベーコンと煮た。
 キュウリとタコの酢の物。急に酢蛸が食べたくなった。
 ビール500mL。
 赤ワイン。
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