平成28年9月12日(月) 曇り

 9時半起床。
 昨晩セットしたご飯と,作っておいたスープほかで朝食。
 スープといっても,残った天つゆを増量し,ネギ,豆腐,油揚げ,エノキを入れたもの。
 昨晩のてんぷらの量が適切すぎてカボチャ一つも余らなかったのが残念と言えば残念。
 雲行きが怪しいが洗濯をする。
 雨の確率50%だったが,お師匠さんの家でもすでに干してあったので。
 つい最近も書いたが,近所の奥さんを洗濯のプロすなわち師匠と呼んでひそかに尊敬しているのだ。
 顔も知らない人だけど…。
 と,ここまで書いたところで,愛猫が7か所におう吐,拭き掃除をする。
 すでに17歳を超えているので,かなりの高齢。
 1日に最低1回は吐いている感じだなあ…。
 最近は1日に23時間以上寝て,あとは水と食事とトイレと嘔吐だ。
 家族との交流は10分くらいかな…。
 さっきまで,私が新聞を読んでいるところに寄りかかって寝ていた。
 これも交流と考えれば,トータル20分ぐらいにはなるかもしれない。
 昼食は,朝食の残りとイチジク1個。
 スープを作りすぎていて,朝昼で結局4杯も飲んでしまった。
 塩分取りすぎかもしれない。
 「愛する人を生かしたければ胃瘻を造りなさい―「口から食べられないとき」=「死ぬとき」ではない 専門医が教える胃瘻の使い方、考え方」(丸山道生)を一気に読み終える。
  先日読んだ2冊,「「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」,「胃ろうという選択、しない選択 「平穏死」から考える胃ろうの功と罪」とは真逆の内容かと思って読んだのだが,案に相違して同じような内容だった。
 こちらは,単純な胃瘻拒否に警鐘を鳴らし,あちらは安易な胃瘻造設に警鐘を鳴らすという感じだ。
 死にかけている人々に何が何でも人工的に栄養を与えて生き延びさせよ,という話ではない。
 ただ,問題はその「死に向かいつつある」という判断なんだよなあ。
 そこが難しい…。
 一部の洗濯物をたたむ。全部乾いてはいなかった。
 アイロンがけをする。
 風呂掃除をする。
 ご飯をセットして買い物へ。
 坂の途中のスーパー。
 牧場の朝ヨーグルト×2,豚小間,サンマ3尾,白滝,白玉粉,レモン2個,トウモロコシ,金麦糖質75%オフ500mL×6。
 合計2,701円。
 いつものスーパー経由で行ったのだが,サンマの値段はこちらが半分近く安かった…。
 見た目に特に差はない,といっても私がわからないだけかもしれないが。
 夕食の献立。
 サンマの塩焼き。大根おろし,レモン。
 きんぴら。ニンジン,レンコン,ゴボウ,豚小間,エノキ,シシトウ,…。
 トマトとアボカドのサラダ風。
 枝豆。
 ジャガイモとキャベツと油揚げの味噌汁。
 ご飯。
 ビール1000mL。昨日の白ワインの残り。
 イチジク1個。
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