9時半起床。
残りのカレーで朝食。
株を見たり,新聞を読んだり。
昼食は,ふかしイモ,ウインナー。
洗濯物をたたむ。
プールに行く。
図書館に寄る。
いつものスーパーで買い物。
たまご,ランチパック焼き肉&マヨネーズ,みかん,エリンギ,チキン南蛮。
合計1004円。
今日は一人なので,お総菜を買ってみた。
夕食の献立。
九州名物チキン南蛮,インスタントラーメン。ネギ,ウインナー,キャベツ。
ビール500mL。
チキン南蛮,うまいではないか!
肉は軟らかいし,味付けも薄くていい感じだ。
これはとてもかなわない。
まあ,勝負する気はないけど。
22時頃息子が帰宅。
23時頃女房が帰宅。
日本酒少々。
「かけ算には順序があるのか」(高橋誠)を読み終える。
主夫日記の領分から外れるので詳しくは書かないが,ようするに「順序はない」が結論。
かけ算の順序については,以前ちょっと調べたことがある。
算数・数学は現実を抽象化・普遍化してエッセンスだけを抜き出してとらえる手段の一つであると思えるが,それからすればかけ算(はおろかたし算にも)順序があるとするのは,無意味な議論ということになるのではないか。
「式はその場面を表す算数の言葉」みたいな言い方があるが,式から具体的場面が浮かぶようでは抽象化と言えないだろう。
ここで場面というのは,たとえば4まいのお皿に柿が6個ずつ乗っているとか,5人いるところにあとから3人来たとかそういう具体的状況で総量を求めるというようなことである。
抽象化というのは,4はお皿である必要はないし袋でも単なるグループでもいい,6は6つ何かがあればいい。(5も同様なんでもいいし,3はあとから来なくてもいい。)
求めるのはあくまで総量であってそれ以上でも以下でもないということだ。
これはつまり,たとえばおはじきを4列6行に並べた総数を求めるのと同じということになる。
かけ算の式にすれば,4×6,あるいは6×4である。
しかし,ネットなどで話題になるのは学校のテストで4×6と答えて,バツを喰らったということである。(3+5でバツ,というのはあまり聞かない。あるという話はある。)
交換法則は習っていても,それは計算の法則であって「式」には当てはめてはいけないってことでバツになる。
私が子どものころからそうだった,と思う。
社会人になって,「個数×単価」の伝票を見て間違ってる!と思ったくらいだからたぶんそうだろう。
なぜバツになるのかというと,教師用の指導書(アンチョコ)にそう書いてあるからである。
アンチョコには,黒板の書き方から指導のしかた,時間の配分,生徒の予想回答とそれへの対応,練習問題等々,授業に必要なすべてが載っている。
文科省が言っているとか,学習指導要領に書いてあるとかそういうことはない。(上記によれば,大昔の文部省は順序派だったらしい)
なぜ,アンチョコにそう書いてあるかというと,…まあ,その辺は上記の本で触れている。
抽象化云々は,まあ書いてなかったと思う。
しかし,だれがなんといっても教科書的には順序あり,でこのままいきそうな気がするなあ。
教科書出版社といえば,スキャンダル本を出す出版社と違ってお役所みたいな印象があるので,前例踏襲でいくように思う。
かけ算に順序はない(たし算にも)となると,算数業界(そんなものがあるのか)への影響が大きすぎて,一部の力では無理ではないかなあ。
文科省がなにか言うとも思えないし。
かくして,日本全国「かけ算には順序がある」が現時点での算数の標準なのである。
もし,子供が学校で順序が逆だとバツをもらったら,先生ではなく教科書会社に抗議するのが効果的かもしれない。
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