9時15分起床だが,1時間前には目が覚めていた。
早く寝ても,睡眠時間は増えないのか。
女房の朝食。
今日はあなたが愛猫を病院に連れて行ってとの申し出にOKしたのだが,どうも体調が悪い。
いや,申し訳ないということで,女房に行ってもらう。
何だかなあ。
昼食は,バナナにヨーグルトなど。
午後になって少し元気が出てきたので,株価とか見る。
順調に下がっているなあ。
一体どこまで下がるのやら。
女房は美容院と病院へ。
こちらの病院は本人のためね。
14時46分,街頭放送にあわせて黙祷を捧げる。
もう9年か。
この日記を始めた年だった。
いろいろ思い出す。
何年か前,竜田駅までしか通じていなかった常磐線で,避難指示解除前の町を歩いたことがある。
工事の音だけがどこかからひびいてくるような無人の町だった。
楢葉北小学校の職員室のカレンダーは3月のままで,時計は7時5分を指していた。
壁の予定表を見れば,「連絡票提出」の日であり「楢中卒業式」でもあったようだ。
ガラス越しに見た,当時の混乱ぶりがそのまま残ったような光景が忘れられない。
末続駅周辺も歩いてみた。
崖の上の真新しい瀟洒な2階建ての洋館に人の気配はなかった。
ポツンと新しく建てられた美容院の開け放たれた窓から,お婆さんが髪をセットしてもらっているのが見えた。私と同年配の男性が脇からしきりに話しかけていた。
駅では酔っ払った親父さんに声をかけられた。
いわきの「コレ」に会いに行くんじゃガハハと小指を立てていたが,よく聞けば震災で奥さんと娘さんをなくされた方だった。
翌年は,三陸を久慈から南下した。
三陸鉄道も分断されていて,途中はバスでの移動となった。
雨の中,曇った窓ガラスの向こうに忽然と現れた大槌町の役場跡に衝撃を受けて,予定を変更して翌日そこを訪ねたのだった。
内側から膨れ上がった分厚いコンクリートの壁が,信じがたいほどの津波の威力を物語っていた。
…
18時頃,買い物へ。
坂の途中のスーパー。
鶏モモ肉,鰯缶2個,味噌,赤だし味噌,ヨーグルト,酢,食洗機用洗剤,洗濯用洗剤。
合計2,489円。
いつものスーパー。
トマト,シメジ,マイタケ,スナップエンドウ,イチゴ,豚こま,えびの高原ロングサイズウインナー,トマト缶,ちくわ,ガラスープの素,とろけるチーズ,モッツァレラチーズ,日本酒。
合計4,071円。
夕食の献立。
鶏肉とキノコのトマト煮。タマネギ,エリンギ,マイタケ,マッシュルーム,エノキ,トマト缶,塩,胡椒,トマトケチャップ,ソース,大葉。
ほうれん草のお浸し風サラダ。長芋,アボカド,パクチー,ピエトロのドレッシング。
ご飯。
ビール750mL。
日本酒の残り。
女房が買ってきた白ワイン。
2時に寝た。
------------------------------------