平成28年1月29日(金) 雨だった

 9時半起床。
 カレーの残りで朝食。
 株をみて,本を読む。
 「ライ麦畑で捕まえて」(J.D.サリンジャー野崎孝:訳)
 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(同,村上春樹:訳)
 ここ2週間ぐらいで,続けて読んだ。
 村上訳の方がどちらかというとこなれた印象を受けるのは時代的なものがあるのかもしれない。
 何しろ野崎訳は1964年に出たらしいからなあ。
 たとえば,こんなところ。
 ・野崎訳「だからつまり,コンマだとかなんとかをさ,適切なところに打たないでくれよ」
 ・村上訳「だからさ,コンマとかそういうものをあんまりちゃんとした場所に,かちかちと置きすぎないようにしてもらいたいわけさ」
 野崎訳では一瞬意味がわからなかったのだが,村上訳ではすんなり理解できた。
 ただ,村上訳でも引っかかったところはあった。
 ・野崎訳「入りたまえ,坊や」
 ・村上訳「入りなさい,あーむ」
 とかいったところ。
 「坊や」は翻訳物ではよく出てくるという印象があって気にならなかったのだが,「あーむ」の方はなんだろうと思ってしまった。
 あと,村上訳には所々注釈がついているのがありがたい。
 たとえば,10でダンス相手が「ちょいと。さっきも言ったでしょ。そんな言い方,きらいよ」と言ったのは,「僕」が年を聞かれて「実は十二歳さ」と答えたあたりか,その前の「野暮なジルバじゃなくてさ,」と答えたあたりを指しているのかと思っていたのだが,村上訳では*がついていて「彼女はgoddamとかChristといった神の名前をみだりに出すホールデンのしゃべり方を非難している。」とあってよりわかりやすい。
 「ファック・ユー」はやはりそのままの方が今どきはしっくりくるよな。
 村上訳では,「君」がちょくちょく出てくるが,野崎訳では初めに出てきてあとはほとんどなかったと思う。
 まあ,全体が誰かに向かって話をしている状況なのは自明なので,どちらがいいとも言えないかもしれない。
 どれもこれも原文を読めばわかるといわれればその通りかもしれないが,そんな力はないし。
 いずれにしても「翻訳」がある種の「創作」であるというのがよくわかるおもしろい体験だった。
 昼食は,ご飯の残りをお茶漬けに。
 プールに行く予定だったが,いろいろしているうちに夕方に。 
 買い物に行く。
 米のパン屋で米のシフォンケーキを2個。
 合計324円。
 いつものスーパーへ。
 ちくわ,鶏モモ肉3パック,えびの高原ロングサイズウインナー2パック。
 合計1813円。
 坂の途中のスーパーへ。
 油,牧場の朝ヨーグルト×2,長ネギ,イチゴ,けんちん汁の具,お刺身盛り合わせ,オクラ,ピーマン,長芋,日本酒,アサヒオフ500mL×2,金麦糖質75%オフ500mL。
 合計3841円。
 ポイント832円分を使う。
 雨の中,重くてたいへんだった。
 夕食の献立。
 鶏の唐揚げ。
 お刺身サラダ。長芋。
 そば。けんちん汁の具と長ネギを入れた。十割そばがぼそぼそしてしまった…。
 エリンギの粕漬け。もらい物。
 ビール1000mL。
 白ワイン。
 さすがに量が多いと思って,鶏肉1パックは残したよ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−