9時起床。
女房の朝食だが,バナナにイチゴにヨーグルトとか。
あとでごちそうを食べるからと。
着替えて外出。
外は暑い。
電車を乗り継いで上野まで。
11時に妹夫婦と待ち合わせ。
会うのは正月以来だな。
不忍池をちょっとだけ見る。
桜はもう少しといった感じだが,とにかく人が多い。
いったいどこからこんなにわらわら集まって来たんだというくらい。
外国人も多いが旅行者なんだろうね。
11時半から老舗の料亭で父方のいとこ3人と計7人で会食。
姉と弟2人のいとこ3人と会うのは,彼らのきょうだい(長男)の葬儀以来だから5年ぶりに近いか。
長男が倒れて意識不明だと東京郊外の病院から我が家に電話があったのは,2019年7月24日だった。
数日間身元がわからず,財布の隅にあったレシートの裏に電話番号らしきものがあったのでかけてきたという。
母の3回忌にお線香を送ってくれたときのメモだろうとはあとでわかったことである。
その後完全に目覚めることはなく,およそひと月後に亡くなったのだった。
葬儀の終わった8月28日頃まで,何だか落ち着かない日々を送ったのを思い出す。
会食は,彼の思い出を発端に,お墓の話,3人とも独身で最後の1人はどうするんだという踏み込んだ話へと進んだ。
我々しか頼れる親戚はいないという。
となると,この私は難病認定だから先に死ぬだろうから私の妹がみることになるのか,いとこに相続権はないから遺言状に全財産を譲るとかちゃんと書いてくれないとダメですよなどと冗談めかした(本音の)話まで…。
確かにそうなんだよなあ。
我が家は女房や息子がまあなんとかしてくれそうな気はするし,妹は3人の子と4人の孫がいるしで頼れる部分は多いだろうが,独り身となるとさてどうしたものか。
簡単に結論は出せない。
もちろん,酒を飲みながらの話だから話題はあちこち飛んだけれどね。
こちらは(長男への)お花代を包んだものの,すっかりごちそうになってお土産までいただいて14時ごろお開き。
妹夫婦と我が家の近くまで移動して,お茶をしながらさらに1時間ほどしゃべる。
まあ,いちばん長生きしそうな妹の懸案事項が解決したわけではないが,少しは進展があったというべきかな。
まずは3人で話し合ってそれなりの方針を決めてもらうしかないのだろう。
2人と別れて,我々は徒歩で帰宅。
体調はいまいち。
副反応の続きだろうか,それとも…。
何とか家に帰り着く。
困ったカラダである。
それにしても,ごちそうを食べ過ぎてお腹が空かない。
夕食の献立。
カップラーメン。
グリーン温サラダ。春菊,小松菜,絹さやを軽く塩ゆでして,サラダ菜,ミニトマト,サラダ鶏。ドレッシング。
ビール500mL。
皿洗いは女房。
テレビを見て,風呂に入って,1時半就寝。
今週1週間はやたら動き回って疲れたな。
こうしてすこしずつ動けなくなっていくのだろう。
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